12月24日のクリスマスイブ、八王子中屋ジムの元東洋・日本ミドル級王者の淵上誠が引退の報告を自身のfacebookにて行いました。
《引退報告》
私、淵上誠は去年の12月24日の試合を最後に引退する事を決めました。
報告が遅くなりました。すみません。
試合前から考えてた事ですが、ずっと考えも変わらずですのでここで報告させて貰います。
私は夢であるボクシングに育てて貰いました。
ボクシングをしていなかったら今頃どうなっていたのか…恐くて想像できません。
ボクシングを続けてここまで来れたのも皆さんの力です!
本当に感謝しています。
妻とも出逢えたのもボクシング!!
本当にボクシングに、そしてボクシングを続けてやらせてもらえる状況、応援して下さる沢山の仲間に、そして私の職場である日野自動車!全てに感謝の思い出しかありません。
夢=ボクシングは人を成長させる!!
私はこれでした!
ボクシングのおかげで、人の大切さ、優しさ、悔しさ、一人では出来ない…沢山の事を学びました。
本当に今までありがとうございました。
この喜びを感じてしまった私は…普通で要られません…と…いう事で…新たな野望が( ̄▽ ̄)( ̄▽ ̄)( ̄▽ ̄)
その時はまた皆さんの力を頂きます!
本当にありがとうございました。
そんな淵上にチーフトレーナーの中屋廣隆前会長が想いを寄せています。
淵上長い間お疲れ様でした。そして有難うございました。
君は八王子中屋ジムでした。
デビュー戦の茅ヶ崎体育館でTKO負けになり、止められた時に腹いせにコーナーポストを蹴飛ばし頭を叩かれましたよね!
そんなヤンキーな淵上が2度目の挑戦で新人王を取り、その時今はパウンドフォーパウンドのゴロフキンと世界戦をやる事になるとは誰が想しただろうか。
ジムに入って来た時からノーガードで、自分はタコ踊りと茶化したが、しかしそれを直そうとは思わなかった。逆にそのスタイルを特化せようとした。
その結果3度目の挑戦で日本チャンピオンになった。
2度目の大阪での挑戦で勝ったと思った試合が負けになり悔しい思いをしたが、それをバネに今度は倒すスタイルに挑戦した。結果アウェイでの試合で見事倒し切った。
リング上でお父さんの遺影を抱いて泣いた皆泣いた。忘れられないシーンでした。
あの東洋・日本王座統一戦となった佐藤戦は、記憶の中から消せない程のカタルシスをもたらした。結果あのゴロフキンとのウクライナでの世界戦に繋がった。
あの時の君にも驚いた。世界戦と言うのに君は、まるで後楽園ホールでの振る舞いと何ら変わらない心境の様に思えた。事実試合での振る舞いも、ホールと同じく冷静その物であった。
その後OPBFチャンピオンに返り咲いた物の、勝運から遠ざかった。それでも君は腐らず何度もチャレンジした。
最後になった胡との日本タイトルマッチでは、負けたけれど皆に感動を残し、淵上の真骨頂である出し切るを魅せた。
君は八王子中屋ジムその物であった。
後に続く者達の羅針盤になった。
ボクサーよ、迷えば淵上に聞け、全てが八王子中屋だ
ただいま淵上の引退式を後楽園ホールで行う為、話し合いをしております。近々日程をお知らせできると思いますので、どうかもう少々お待ちください。
第63回東日本ミドル級新人王
第53回全日本ミドル級新人王
最強後楽園ミドル級優勝
第54代日本ミドル級王者
第43・44代OPBF東洋太平洋ミドル級王座
そして最強のミドル級王者に挑んだ世界挑戦者
薩摩コング・淵上誠
おつかれさまでした!
《引退報告》
私、淵上誠は去年の12月24日の試合を最後に引退する事を決めました。
報告が遅くなりました。すみません。
試合前から考えてた事ですが、ずっと考えも変わらずですのでここで報告させて貰います。
私は夢であるボクシングに育てて貰いました。
ボクシングをしていなかったら今頃どうなっていたのか…恐くて想像できません。
ボクシングを続けてここまで来れたのも皆さんの力です!
本当に感謝しています。
妻とも出逢えたのもボクシング!!
本当にボクシングに、そしてボクシングを続けてやらせてもらえる状況、応援して下さる沢山の仲間に、そして私の職場である日野自動車!全てに感謝の思い出しかありません。
夢=ボクシングは人を成長させる!!
私はこれでした!
ボクシングのおかげで、人の大切さ、優しさ、悔しさ、一人では出来ない…沢山の事を学びました。
本当に今までありがとうございました。
この喜びを感じてしまった私は…普通で要られません…と…いう事で…新たな野望が( ̄▽ ̄)( ̄▽ ̄)( ̄▽ ̄)
その時はまた皆さんの力を頂きます!
本当にありがとうございました。
そんな淵上にチーフトレーナーの中屋廣隆前会長が想いを寄せています。
淵上長い間お疲れ様でした。そして有難うございました。
君は八王子中屋ジムでした。
デビュー戦の茅ヶ崎体育館でTKO負けになり、止められた時に腹いせにコーナーポストを蹴飛ばし頭を叩かれましたよね!
そんなヤンキーな淵上が2度目の挑戦で新人王を取り、その時今はパウンドフォーパウンドのゴロフキンと世界戦をやる事になるとは誰が想しただろうか。
ジムに入って来た時からノーガードで、自分はタコ踊りと茶化したが、しかしそれを直そうとは思わなかった。逆にそのスタイルを特化せようとした。
その結果3度目の挑戦で日本チャンピオンになった。
2度目の大阪での挑戦で勝ったと思った試合が負けになり悔しい思いをしたが、それをバネに今度は倒すスタイルに挑戦した。結果アウェイでの試合で見事倒し切った。
リング上でお父さんの遺影を抱いて泣いた皆泣いた。忘れられないシーンでした。
あの東洋・日本王座統一戦となった佐藤戦は、記憶の中から消せない程のカタルシスをもたらした。結果あのゴロフキンとのウクライナでの世界戦に繋がった。
あの時の君にも驚いた。世界戦と言うのに君は、まるで後楽園ホールでの振る舞いと何ら変わらない心境の様に思えた。事実試合での振る舞いも、ホールと同じく冷静その物であった。
その後OPBFチャンピオンに返り咲いた物の、勝運から遠ざかった。それでも君は腐らず何度もチャレンジした。
最後になった胡との日本タイトルマッチでは、負けたけれど皆に感動を残し、淵上の真骨頂である出し切るを魅せた。
君は八王子中屋ジムその物であった。
後に続く者達の羅針盤になった。
ボクサーよ、迷えば淵上に聞け、全てが八王子中屋だ
ただいま淵上の引退式を後楽園ホールで行う為、話し合いをしております。近々日程をお知らせできると思いますので、どうかもう少々お待ちください。
第63回東日本ミドル級新人王
第53回全日本ミドル級新人王
最強後楽園ミドル級優勝
第54代日本ミドル級王者
第43・44代OPBF東洋太平洋ミドル級王座
そして最強のミドル級王者に挑んだ世界挑戦者
薩摩コング・淵上誠
おつかれさまでした!
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