先月の中頃、日本ライト級王者の荒川仁人選手と八王子中屋ジムの筒井マネージャーが、タイトル獲得ご挨拶の旅に数日でておりました。
沖縄→岩国→滋賀、と3つの地域にまたがる小さな旅。しかし重要な旅を、選手の代表として荒川仁人(初防衛戦を控えていた為、チャーリーはジムで修行中でした)、ジムの代表として筒井マネージャーが巡って参りました。
まず訪れたのが南国沖縄県、故伊礼喜洋選手の元にべルトの獲得を報告しました。
(伊礼君、いつもジムの皆を見守っていてくれて有り難う!)
先日も野崎雅光選手が”伊礼杯”を受賞した際(詳しくはこちらに)、伊礼選手のお母さんが後楽園ホールまで足を運んで下さいました。そして今回、八王子中屋ジムから約5年振りに王者が誕生したことで、ようやくこちらも”ベルトを携えて”ご報告に伺うことができました。
おいしい沖縄料理を頂いたり、南国植物と戯れたり、わずかの沖縄滞在でしたが太陽の恵みを受け、荒川さんもすっかり自然へと帰って行ったようですよ。伊礼君の家族の方々、どうも有り難うございました!
そして翌日は岩国へ、故村上潤二選手の元へご報告をしました。華麗なボクシングスタイルで同じサウスポーの荒川に大きな影響を与えた村上さんは、2度のタイトルマッチに挑戦した八王子中屋の中心選手でした。しかし、引退後まもなく突然の病死の為、若くして他界してしまったのです。
(村上さん、荒川があなたの意思を継いでやってくれました!)
現役時代に目指していたタイトル、それをかわいがっていた弟分の荒川が獲得した事をきっと村上さんも喜んでくれているのではないでしょうか。
ボクサーとしても人間としても本当に素晴らしい人だった村上さん、荒川以外にも今活躍する八王子中屋の選手達の多くが彼の優しさに触れ、またボクシングに対する情熱を学んでいきました。これからも僕らを見守っていて下さい!村上さんの家族の方々、有り難うございました!
(錦帯橋にて村上さんのお母さんと、さすがチャンプ、食ったら動くを旅の間も実践していたようです)
そして翌日、岩国から滋賀県へ。
滋賀では、いつもジムを応援して下さっている村川さん宅にお邪魔しました。
村川さんの長男、康嗣君はマネージャーの紹介で去年の5月に八王子で行われた試合の時に荒川に花束を送ってくれた少年で、ボクサー達のひたむきな姿を目の当たりにして以降、自身も始めていた柔道で頑張っていました。
しかし、所属していた柔道部の練習中に顧問が投げた後に意識を失い、1ヶ月後に亡くなるという事故にあってしまったのです。そんな康嗣君、彼の家族の為にもベルト獲得を誓い、見事果たした荒川は、彼の家で霊前の前にベルトを見せるとともに獲得の報告をしました。その時のことは各紙新聞でも取り上げられました。
村川家はこの事故後そのまま泣き寝入りする事はなく、全国柔道事故被害者の会を設立に協力する事で戦う決意をする傍ら、八王子中屋のボクサー達を応援する為に試合会場まで足を運んでくれています。選手、ジムに出来る事はそんな人達に精一杯のものをリングの上で見せて行く事なのだと思いました。
(村川家の皆さんと康嗣君)
(『瓶細工手まり』村川さんのおばあちゃんの手作りのまりはジム、チャンピオン達の下で輝いております。タマに込められたもの)
「タイトルをとった時、必ず挨拶に戻ってくる。」
そう筒井マネージャーは決意し、この日まで伊礼、村上両選手の元に来る事を我慢していたと言います。そしてこんなにかかる予定ではなかっ、、
それをかなえてくれたチャーリー、荒川の両チャンピオンには本当にジムからも感謝の気持ちでいっぱいです。
そして旅の最後として、いつもジムの選手達がお世話になっている八王子みなみ野クリニックセンターさんに荒川さんはご挨拶をしに向かいました。
(童顔だったスナイパー in みなみ野クリニック)
整形外科の杉山先生!眼科の藤田先生!昨今に至るまで荒川および、ジムの選手達を守って頂き有り難うございます!これからも宜しくお願い致します!
(杉山先生、治して頂いた荒川の拳で日本を取りました!)
(藤田先生とスタッフの皆さん、荒川さんは相手の動きがよく見えていました!)
皆さん、これからも選手、八王子中屋ジムの応援をどうか宜しくお願い致します!
沖縄→岩国→滋賀、と3つの地域にまたがる小さな旅。しかし重要な旅を、選手の代表として荒川仁人(初防衛戦を控えていた為、チャーリーはジムで修行中でした)、ジムの代表として筒井マネージャーが巡って参りました。
まず訪れたのが南国沖縄県、故伊礼喜洋選手の元にべルトの獲得を報告しました。
(伊礼君、いつもジムの皆を見守っていてくれて有り難う!)
先日も野崎雅光選手が”伊礼杯”を受賞した際(詳しくはこちらに)、伊礼選手のお母さんが後楽園ホールまで足を運んで下さいました。そして今回、八王子中屋ジムから約5年振りに王者が誕生したことで、ようやくこちらも”ベルトを携えて”ご報告に伺うことができました。
おいしい沖縄料理を頂いたり、南国植物と戯れたり、わずかの沖縄滞在でしたが太陽の恵みを受け、荒川さんもすっかり自然へと帰って行ったようですよ。伊礼君の家族の方々、どうも有り難うございました!
そして翌日は岩国へ、故村上潤二選手の元へご報告をしました。華麗なボクシングスタイルで同じサウスポーの荒川に大きな影響を与えた村上さんは、2度のタイトルマッチに挑戦した八王子中屋の中心選手でした。しかし、引退後まもなく突然の病死の為、若くして他界してしまったのです。
(村上さん、荒川があなたの意思を継いでやってくれました!)
現役時代に目指していたタイトル、それをかわいがっていた弟分の荒川が獲得した事をきっと村上さんも喜んでくれているのではないでしょうか。
ボクサーとしても人間としても本当に素晴らしい人だった村上さん、荒川以外にも今活躍する八王子中屋の選手達の多くが彼の優しさに触れ、またボクシングに対する情熱を学んでいきました。これからも僕らを見守っていて下さい!村上さんの家族の方々、有り難うございました!
(錦帯橋にて村上さんのお母さんと、さすがチャンプ、食ったら動くを旅の間も実践していたようです)
そして翌日、岩国から滋賀県へ。
滋賀では、いつもジムを応援して下さっている村川さん宅にお邪魔しました。
村川さんの長男、康嗣君はマネージャーの紹介で去年の5月に八王子で行われた試合の時に荒川に花束を送ってくれた少年で、ボクサー達のひたむきな姿を目の当たりにして以降、自身も始めていた柔道で頑張っていました。
しかし、所属していた柔道部の練習中に顧問が投げた後に意識を失い、1ヶ月後に亡くなるという事故にあってしまったのです。そんな康嗣君、彼の家族の為にもベルト獲得を誓い、見事果たした荒川は、彼の家で霊前の前にベルトを見せるとともに獲得の報告をしました。その時のことは各紙新聞でも取り上げられました。
村川家はこの事故後そのまま泣き寝入りする事はなく、全国柔道事故被害者の会を設立に協力する事で戦う決意をする傍ら、八王子中屋のボクサー達を応援する為に試合会場まで足を運んでくれています。選手、ジムに出来る事はそんな人達に精一杯のものをリングの上で見せて行く事なのだと思いました。
(村川家の皆さんと康嗣君)
(『瓶細工手まり』村川さんのおばあちゃんの手作りのまりはジム、チャンピオン達の下で輝いております。タマに込められたもの)
「タイトルをとった時、必ず挨拶に戻ってくる。」
そう筒井マネージャーは決意し、この日まで伊礼、村上両選手の元に来る事を我慢していたと言います。
それをかなえてくれたチャーリー、荒川の両チャンピオンには本当にジムからも感謝の気持ちでいっぱいです。
そして旅の最後として、いつもジムの選手達がお世話になっている八王子みなみ野クリニックセンターさんに荒川さんはご挨拶をしに向かいました。
(童顔だったスナイパー in みなみ野クリニック)
整形外科の杉山先生!眼科の藤田先生!昨今に至るまで荒川および、ジムの選手達を守って頂き有り難うございます!これからも宜しくお願い致します!
(杉山先生、治して頂いた荒川の拳で日本を取りました!)
(藤田先生とスタッフの皆さん、荒川さんは相手の動きがよく見えていました!)
皆さん、これからも選手、八王子中屋ジムの応援をどうか宜しくお願い致します!
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